号泣する準備はできていた

号泣する準備はできていた

なにかひとつの事柄を表現するのに言い表し方は幾らでもあるけれど
なるべく無駄を省いてその事柄にいちばんぴったりとしている言葉をうまく選びとって
みじかくかんたんにしてうつくしくお行儀良く並べてあるというところが江國香織の文章の素晴らしいところ
たいしたことは書いてないんだけどほわんと素敵な気分になる さらっと読めちゃう
毒にも薬にもならずあたまの中を通り過ぎてゆくかんじをたのしみながら読む
12のおはなしをあつめた短編集のなかで とりわけ『手』というおはなしは共感を持って読みすすめた
姉妹が電話で会話している場面ではじまるのだけれど 37歳の姉は色気のない生活をしていて犬と暮らしている

 なにもかも、上手くいかなくなっている。そのことに気づきたくはなかったが、気づいてしまった。
 注意深くしていたのに。
 私は思うのだけれど、注意深くするのは愚かなことだ。当然だ。誰かを好きになったら注意など怠り、浮かれて、永遠とか運命とか、その他ありとあらゆるこの世にないものを信じて、さっさと同居でも結婚でも妊娠でもしてしまう方がいいのだろう。
 コーヒーをのみながら、私は妹の知らない男について考えている。
 かつて輝かしい恋をした。
 でもそれは、それだけのことだ。
― 『手』